【ぷらちな】『エウレカセブンAO』アオが見つけた青い鳥/藤津亮太のアニメ時評‐帰ってきたアニメの門 第12回

[第12回]『エウレカセブンAO』アオが見つけた青い鳥

 第1話の冒頭、羽ばたく鳩の群れの中に一羽だけ交じった青い鳥。その姿を双眼鏡が捉えている瞬間から、『エウレカセブンAO』が進んでいく方向は明確だった。そして最終回、アオが戻っていく故郷の先にも、やはり青い鳥が飛んでいた。

 少々乱暴に断言してしまうと、『エウレカセブンAO』は、ロボットアニメという形式で語られた現代の『青い鳥』だ。

 『青い鳥』は100年ほど前に発表された、モーリス・メーテルリンクの手による全6幕の童話劇だ。貧しい暮らしをしているチルチルとミチルの兄妹が、妖女の願いを受けて青い鳥を探す旅に出る。二人は「思い出の国」「夜の国」などさまざまな世界を巡っていく。それは二人が知らなかった世の真実を知るための試練の旅でもある。

 ここでは『青い鳥』を補助線に『エウレカセブンAO』を読み直すことで、『エウレカセブンAO』という作品が何を描き出そうとしたのかを考えたい。

『青い鳥』でまず注目したいのは、チルチルとミチルが旅立つ前に妖女から渡されたダイヤのついた魔法の帽子だ。妖女曰く、この帽子のダイヤを回すと「普段見られないものを見られる目」が開くのだという。

 この設定は、主人公アオの「トラパー(世界に突如現れた珊瑚状の存在スカブコーラルから吹き出す小さな粒子。作中のメカはこれを利用して飛行することができる)や赤外線など、普通の人間には見えないものが見える目を持っている」という設定と重なっているように見える。

 そして、このダイヤにまつわる印象的なエピソードが「森」の世界だ。

 チルチルとミチルが青い鳥を探して訪れた森でダイヤを回すと、森の木々——特にカシワの木が意志を持って迫ってくる。

 カシワは自分の身内がいかに二人の父親に殺された(切り倒されてきたか)を語り、二人を許そうとしない。二人は木々を含む森の生き物たちに死刑を宣告されるまでに至る。窮地に陥った二人だったが、二人を導く「光」によってなんとか助けられる。

 ダイヤを回してもとに戻し、静かになった森で二人は「森はいったいどうしてしまったのか」と疑問を口にする。

 光はそれに対して「森はいつもそうだ」と言う。ただ、人間はそれを見ることができないから知らないのだ、と。

「見えなかったものが見られるようになったことで、それぞれの立場が浮き彫りになり、自らの価値観が絶対ではないことを思い知らされる」という様子がこの「森」の場面には描かれている。

 アオの「ほかの人とは違うものが見える」能力は、そのままニルヴァーシュのパイロットとしての適性の高さにつながっている。その結果、アオはチーム・パイドパイパーの一員として働くこととなり、世界にはいろいろな立場の人間がいることを知る。

 特に二クール目になってからは、アオ(と彼の所属するチーム・パイドパイパー)を取り囲む環境は二転三転する。磐戸島の立場、シークレットの意味、連合軍の思惑、スカブコーラルの意志、トゥルースの思い、日本の選択。その価値観の揺さぶりは、『青い鳥』の「森」の場面と通底する。

 線を引いて「味方」と「敵」を分け、自らの立場を明確にすることが「政治」の原点だ。だから政治的な人間はいつも線を引くことからその仕事を始める。岩戸島にしろ、連合軍にしろ、日本にせよ、そのような人間は多い。しかし、アオはさまざまな立場を知りつつ、このような線引きをよしとはしない。

 だから物語が展開するにつれ、アオの「見えないものが見える目」とは、単にその言葉通りの意味に留まらず、政治的な線にとらわれずその向こう側まで見つめてしまうことの象徴という意味合いを帯びてくる。

 この価値観の揺さぶりを経て第23話でアオは「お前がシークレットでもスカブでもないから、この世界にいちゃいけないのか。ふざけんな。そんなの誰が決めた。お前もオレも、そんな線で引いてはっきり分けられるようなもんなのか。消えてなくなってゼロにして、それでおしまいなのか」というセリフを言うに至るのだ。

 さらに『エウレカセブンAO』には『青い鳥』の「未来の王国」を思い出されるエピソードも登場する。

 チルチルとミチルが訪れた「未来の王国」は、これから生まれる子どもたちがいる国。子供たちは、生まれる時に手ぶらで生まれることはできない。さまざまな子供が生まれたらやりたい夢などを語る中、チルチルとミチルは、やがて自分たちの弟となって生まれるはずの子供と出会う。

 その子供が持っていたのは、大きな夢などではなく、しょう紅熱、百日咳、はしかという病気だった。その子は、そうして生まれてすぐ死んでしまうのだという。それをその子供は「しょうがない」と語る。

 この生まれてすぐ死んでしまう弟のエピソードは、まず直接的に生後三ヶ月で死んでしまったアオの姉を思い出させる。

 この「未来の王国」のエピソードは何を語ろうとしているのか。

 それはおそらく「人間は“自分の人生”を抱えて生まれるのだ」という哲学だ。どんなものであれ自分の人生は選択したり、手放すことができない。ただ唯一のものなのだ。それを「子供は何か手にしなくては生まれることができない」という表現で描いている。

 親から見て、それは不幸だったり、不憫だったりするかもしれない。でも、それを理由に世界を変えようとまでしてしまうことは間違っている。なぜならこの世界に生まれ落ちた時点で、世界もまた自分の人生の一部になっているからだ。

 だから「未来の王国」のエピソードはその姉を経由して、アオにも直結している。

 アオの父レントンは、この世界にトラパーが満ちると、混血であるアオの体は耐えられなくなることを知っている。そのため、時空に影響を与え歴史を変えるクォーツガンを使い、トラパーの源であるスカブコーラルを消そうとする。現実に生き延びる努力をするのではなく、世界の一部を変えてすべてをなかったことにしてしまおうとするのだ。

 だからアオはレントンに叫ぶ。

「俺たち子どもにも、今まで生きてきた人生があるんだ、俺はそれを否定したくない。たかが人間の都合でチャラになんかしたくない!」

 その上でアオはいう。

「俺の体がいつまで保つのか、それは誰にもわからない。だけど俺は信じる。父さんと母さんが選んでくれたこの時代のこの星の人たちが、選び、勝ち取る未来を」

 そこには自分が病気を持って生まれることを「しょうがない」と語り、それでも親が待っている世界へ生まれていく子供の強さと通い合うものがある。

 さて多くの人が知っている通り、『青い鳥』は、チルチルとミチルの夢の体験であった。そして目覚めた二人は自分たちが飼っていた鳥こそが青い鳥であることに気づくのである。これは多くの場合「身近なところにこそ幸せがある」という一般的な教訓として知られている。

 しかし本当に大事なのはその後であろう。チルチルとミチルは、家を訪れた老婆の連れの娘が鳥をほしがったので、その鳥をあげてしまうのだ。だが鳥は飛んで逃げてしまう。

 チルチルはいう。

「ぼくはもっと青いものを見たんだ。でもほんとに青いのはね、それこそどんなにしてもつかまらないんだよ」

 その上でチルチルは観客に「どうかあの鳥をみつけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥が入り用になるでしょうから」と呼びかけ、舞台は幕になる。

 幸せは「身近なところにある」のではない。

 むしろこのラストにあるのは「さらなる幸せ(つかまらなかった青い鳥)を探すのではなく、目の前の青い鳥こそを幸せとするしかない」という人生の選べなさとも解釈できる。そして、その上で青い鳥=幸せを「さがし続けるもの」と位置づけて、主人公たちから観客へとバトンを渡している。

『エウレカセブンAO』のラスト、アオは、自分を覚えている人がいるかどうかもわからない、歴史改変後の2027年の磐戸島へと帰っていく。この世界で生まれ育った以上、歴史改変ですべてが自分と無関係な人間になっていたとしても、そここそがアオの人生の一部となった世界だからだ。

 ここにも『青い鳥』と同様、「世界(幸せ)を選べないこと」と「その中でやるしかない」という前向きな諦念とでもいうべき感情が刻まれている。

 100年前の童話劇と『エウレカセブンAO』がどうしてこのような共振を見せたのか。それは『エウレカセブンAO』が、設定などの見かけ以上に普遍的な人間についての物語を語ろうとしていたからだ。

 そして「選ぶことができないこと」「その中でなんとかやるしかないこと」という前向きな諦念は、2012年の観客にとっても非常に切実な投げかけとして響くはずだ。

 

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota
掲載:2012年12月19日

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