『源氏物語千年紀 Genji』出﨑統監督インタビュー デジタル技術で描いた“古典”と“常識”
『あしたのジョー』『エースをねらえ!』『宝島』『ガンバの冒険』など数々の名作で知られ、前田真宏さん、新房昭之さんらをはじめ、アニメ業界第一線のクリエイターたちから、今なお熱いリスペクトを捧げられ続ける巨匠・出﨑統さん。その目下最新作、『源氏物語千年紀 Genji』の放送終了&DVDリリースを記念して、作品に込めた思い、デジタル技術との付き合い方、アニメ業界志望者への強烈な“檄”を伺いました。とくとご覧あれ!
■「源氏物語」から『Genji』へ
――『Genji』という作品は画面の美しさが大きな魅力となっていますが、作品の立ち上げ段階では、どういったビジョンを念頭に映像化されたのでしょう?
『源氏物語』をアニメ化したい、という話をもらったときに、まずプロデューサーに言ったのは「着物の柄どうすんだよ。あれがちゃんとなかったら、やったって意味ないだろ」ということでした。でもこれは断るつもりだったからで(笑)。
――(笑)。
そしたら、「なんとかCGでできるような仕掛けを考えてます」って言うから、「ホントか?」と思いつつも途中のものを見せてもらったのね。それは酷いもんだったけど、可能性はあるかもしれないと思った。それでちょっとやろうかなと思った……というのが真相です。で、いろいろあって、用意したシナリオの中に使えないところができてしまったので、瀬戸内寂聴さんの訳と田辺聖子さんの訳したものを参考にしつつ、また全然違う(笑)自分なりの「源氏物語」を作りました。
なんかね、絵コンテを描いてるうちに違うものを作りたくなっちゃうのね。ある意味で完成されたスタイルを見てしまうと、それをまたなぞるのは嫌なんです。へそ曲がりというか、もっと違うものを探そうと思ってしまうことの方が多くて。だからよく「シナリオ作るだけ無駄じゃないですか」と言われてるんだけど、シナリオがなかったら、結果的に出来上がったものは生まれてないんだよね。推敲するような時間が必要なんです。
――そうした過程で見つけられた、監督なりの「源氏物語」のポイントはどのようなものだったのでしょう?
「人はやっぱり“ある”よね」っていうようなことかな。これだと全然分かんないだろうけど(笑)。人っていろいろあるよね、あって当然だよね、と思うこと。映像を見たとき、その作品の世界を見たときにね、「あっ! こんなのあり!? あんなのあり!?」という体験を、頭の中だけでもいいからさせたいという思いがあって、自分も作りながらそういう体験をしたい。今まで考えたこともないようなシチュエーションで人がいて、「こういう人もいるかもしれない」を感じさせたい。特に『Genji』の場合は、生霊が出てくる世界でしょ? これはそれができる可能性があると思ったよね。生霊、欲しいよね。現代に。
――六条御息所の怨念はすごいですよね。
みんなさ、どんなにひどいことされても、ものを言わず死んでく時代じゃない。かわいそうに。あれが生霊となって生き残ってさ、悪い野郎を全部ガァーッ! と脅して歩いたら、世の中もっとよくなると思うよ。本当に。
今は科学的に「死は死です」みたいなことを言ってしまう時代でしょう? 生霊が出てくるというのは、まだ人間が生き物であった証だよね。『源氏物語』って、その証が特に強い。それは素敵だなと思うんです。表面だけ見ると貴族社会の美しい恋のさや当てみたくなっているけど、実は原典は人間のおどろおどろしいところも平気で書いている。夕顔や葵の上が死んだときも、何日も死体を処分しないもんだからどんどん腐っていく、なんていうことが書かれている。そういう怖い世界というか、人をちゃんと捉えてて、人間の肉体自体もそこには明らかに“ある”よね。今みたいにきれいごとだけじゃなくて。
――とても生生しいお話ですね。
そもそも自分の親父の愛人を息子が奪っちゃうっていうような話ですからね、基本的には。人間の持ってるあらゆる可能性を試してて、それはとっても面白い。