『源氏物語千年紀 Genji』出﨑統監督インタビュー デジタル技術で描いた“古典”と“常識”

『源氏物語千年紀 Genji』出﨑統監督インタビュー デジタル技術で描いた“古典”と“常識”

――反面、制作上の自由度があがったことで、監督として表現したいことの幅が広がられたのではないかと思うのですが。

俺、もともと基本的にはなんでも出来ると思ってるから(笑)。ただ、ストーリーとかドラマの上でそれが必要かどうか、だよね。必要もないのにそんなことだけやったってしょうがないので。ドラマを盛り上げるため、見てる人をもっと泣かせるためだったら命を惜しまずにやるけどね。ただ面白い画面でしょ? っていうためだけだったら、俺はなんにもしない。見てる人と語りあいたいっていうつもりで作品をやっている訳だから。

Genjiより

「どう、すげえでしょ? すごいでしょ?」なんてやってたら、絵柄だけ派手な作品になっちゃう。それはそれで、そういうの観たい人は観りゃいいんだけどさ。でも、「アレがアレで……」っていちいち解説して、分析しながら観てるなんて、そんなもん映画の見方じゃないよね。観ながらドーン! とその世界の中に入ってさ、「俺も生霊になりてえ~」みたいに思うのが映画なんだよ(笑)。

――その意味では、『Genji』では濃厚な人間ドラマを見ることができました。「源氏物語」は一般に男女の性愛の物語だと思われていますが、出﨑版『Genji』では「男の友情」みたいなものが厚く描かれている印象がありましたが。

同性愛っぽいってことでしょ(笑)。

――頭中将と源氏の関係性に少しそういう匂いがありましたね(笑)。

あいつらは友達だろうけどね。女性はさ、もうドロドロしてるじゃない、みんな。持って生まれたものなんだよ、それは。だから、男同士がこそこそやんないと話にならねえの。で、俺は頭中将がある程度距離を置いていたのは、ホントの友達だと思うからであって。朱雀帝が救いの神だったね。なんの予定もしてなかったんだけど、朱雀帝を出すことで、源氏をある意味で救うことができた。彼の友情というか、兄弟愛みたいなものを描くことで「俺って男でよかったな」みたいな感じがありましたね。

Genjiより

やっぱり、六条御息所だとかなんだとかさ、理解するよう挑戦はしてみたけど、分かんねえもん。男性としてはね。「勝手に生きろ」みたいな感じじゃない。夢中になっているのかと思えば「私は私、別にいいのよ」みたいな感じでダーッとどこかへ行くじゃない。それはそれでカッコいいなあとは思う。男は、カッコ悪い中で「でも、僕は君のこと考えてるよ」みたいな、大体そんなもんだよね。「女に歯向かうだけ無駄だよ」みたいな(笑)。

――作中のどの女性も、源氏にこだわる割には、意外と最後は自己完結して去って行ったりしますよね。

そうだよ。自分のことしか考えてねえんだから、要はさ。「なんで来てくれないの、あたしがこんなに待ってるのに!」って言い出したら、源氏は他にも待ってる奴がいるんだからさあ……みたいな言い訳が効かねえんだもん、女の人には。「だって、あたしが待ってんのよ」の一点張りでしょ? でもそういう力があるから、男は行くんだと思うよね。それぐらいが幸せなんじゃないの。表面上は女が男の人に従います、って態度のときもあるかもしれないけど、絶対そんなことはねえから(笑)。

Genjiより

――紫の上についてはあまりそういう部分が描かれませんでした。朧月夜(六の君)や、源氏が須磨に流された後も明石に対してかなりドロドロした関係になりますよね。

そう。紫はね、描けなかったの。一人ぐらいはいいじゃん、そういうのもいた方が。若紫って幼いときに源氏にさらわれてきて、囲われながら育てられてる……みたいな無茶苦茶な話でしょ? それはさすがに倫理的にまずいと思ったので、少なくとも紫の方からも、源氏に対して「お兄さん……」みたいな感じで、「好きになっちゃったんだからそうなります」みたいな行程は一応描いてみたのね。

――そこに関しては原典よりもロマンチックにというか、美しいものにされた。

というよりも、今、難しいよね。犯罪を描くみたいな感じになってて、その気分 に同調するのも難しいし、それが描きたいわけじゃないからね。

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