「アニメ」で生きていくということ・谷口悟朗監督×ヤマサキオサム監督ロング対談第三回

ヒット作の制作現場で次代を担うスタッフを指導している谷口悟朗監督。ベテランとして、アミューズメントメディア総合学院講師として、後進の教育にあたるヤマサキオサム監督。

最終回となる第三回では、みずからの歩んできた道、これからの人材育成への熱意と方法論を語っていただきました!

⇒対談第二回はこちら

■「天才」を前にして

――コンプレックスとはどういったことだったのでしょうか。

谷口 だってアニメ業界に入ったときも、私は他の方々みたいにアニメがどうしてもやりたくて入ったわけじゃなく、いくつかの選択肢の中から選んで入りましたから、うしろめたいところがあるんですよ。

加えて、絵が描けるわけでもないですし、撮影とかも大して扱えるわけでもない。

グロス会社
TVアニメーションやOVAを一話単位で請け負う、いわゆる“グロス請け”を業務の中心とするアニメーション制作会社のこと。

特殊技能が何もない状態でアニメ業界に入って、さらに言えば、私がいた当時のJ.C.STAFFってTVとかをやっているわけでもなく、メジャーなわけでもなく、グロス会社に近かったわけですし。

ヤマサキ ああ、そうだね……。

谷口 となると、会社というか組織というものに頼ることも出来ないわけで、何も存在しない。

サンライズである程度仕事をさせていただく形になってからも、当時のサンライズは富野(由悠季)監督の下で仕事をしたことがある人間じゃないと上に行けないシステムだったんです。そうすると、私のような外様な人間は厳しかったですし。

高橋良輔
アニメーション監督、プロデューサー。『装甲騎兵ボトムズ』などのリアルロボットアニメをはじめ、時代劇やファミリー向けまで、幅広く腕をふるう。最近作に『FLAG』『火の鳥』など。

大張正己
アニメーター、メカニックデザイナー、監督。独特のデフォルメや原画で動かす手法でメカアニメに影響を与える。最近作に『獣装機攻ダンクーガノヴァ』など。

ヤマサキ でも、高橋良輔さんの下にいたわけだよね? サンライズでの演出一発目も、良輔さんの関係してる作品でしょう?

谷口 良輔さんには何かと気にかけていただいていますが、基本的には外様だと思います。特に、当時はその感覚が強かったですしね。そうするとやっぱり、私には自慢出来るものがひとつもないんですよ。

ヤマサキ 傍から見ていると意外だけど……そうなんだ。

谷口 ええ。あとは、特に強烈だったのが大張正己さんの存在です。

大張さんのほうが業界入りは少し早いんですが、年齢はそんなにかわらないんですね。なのに、最初から大張さんはバーン!と高いところから始まっている。すぐそばでその仕事ぶりを見ましたからね。

ヤマサキ そうだね。彼は僕も脅威だった。

対談第三回
超獣機神ダンクーガ
’85年葦プロダクション制作。地球を壊滅寸前に追いやった宇宙からの侵略者に変形合体ロボットに乗って挑む若者たちの熱き戦い。
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谷口 え! でも当時は部下だったじゃないですか(笑)。

ヤマサキ そうはいっても、一緒の会社でやってるときにはもうすでに彼、作監(作画監督)もやってたし、監督もやっている時期だったから。

最初に葦プロで会ったときは19才ぐらいで、敵メカのデザインと原画をちょっとだけやってて、そのときは下手くそだったんだよ。

で、『超獣機神ダンクーガ』のときに佐野(浩敏)くんがオープニングとかスペシャル原画的なところをやるので呼ばれて中に入ったときに、佐野くんの原画を大張くんが見たんだよね。

それで、1ヶ月くらいしたら、佐野くんの原画そっくりな絵を描くようになったんだよ、大張くん。

対談第三回

谷口 おお……!

ヤマサキ もうね、色鉛筆の使い方からシートの文字の書き方とかまでそっくりなのよ。佐野くん本人が見ても自分の原画と勘違いするくらいだった。

「すごいけど、モノマネじゃないか!」と思う人がいるかもしれないけど、モノマネは技術力と分析力がないと出来ないことなんですよ。だから、とにかくこいつはすごいと思った。

僕なんか、佐野くんとの付き合いは大張くんより全然長かったけど、佐野くんの絵を真似しようと思っても描けない。それを1ヶ月くらいで真似出来て、それからすごい勢いで伸びた。あのときは「天才っているんだな」と思ったよ。逆に佐野くんが大張くんのことを相当意識するようになったからね。

で、今では大張くんは、監督もやって、メカアクションのスペシャリスト的な仕事も続けているわけだし。

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