「アニメ」で生きていくということ・谷口悟朗監督×ヤマサキオサム監督ロング対談第三回

■教われる「技術」、培う「好み」。

――正解がないだけ難しいのですね。

谷口 そういう意味ではコンテを教えるさいにはどうされているんですか?

ヤマサキ 基本的には、百年もかけて先輩たちが培ってきてくれた映像の基本があって、コンテはロジカルなものだと思う。そのロジックをとりあえず勉強すべきだと思うんだよ。

自分がアニメーター出身で、動いてナンボとか、エキセントリックな画面を作るのが好きだったりするだけに、逆にそう思うようになった。基本を意識しないほうが見栄えがいい場合もあるんだけど、若いころにそこを狙ってすごく失敗したことがあって、現場的にも苦労した時期があったんだよ。

そんなときに、湯山邦彦監督と仕事やって、映像がロジカルなものだと初めて分かった。カッコよさだけで映像を作っているわけじゃないんだ……ってね。

谷口 ああ、なるほど。

対談第三回

ヤマサキ 例えば、俯瞰で見下ろす画面には抑圧感があるし、アオリで見上げれば相手に威圧されている感じに視聴者は受け取っちゃう。こういう目線の高さによる違いなんかは基本中の基本だけど。アニメーターって、普通の状況で会話をしているときに、変なアングルから撮りたがったりするんだよね。自分も昔はそうだったんだけど(笑)。

例えばキャラクターの感情を見せたければ顔にカメラを寄せたほうが見せやすいし、状況を見せたければカメラを引いて全体を見せたほうが描きやすい。言われたら当たり前のことなんだけど、それを理論的に意識して使っているか、感覚だけで描いているかって、演出家の能力としてすごく違うじゃない。

例えば、今の話を学生にすると何でもかんでもその法則が正しいと思い込む人が多いんだけど、実際には現場スタッフの力量で画力がないスタッフを使わざるえないときに顔のアップの演技が絵的につらいときもあるし、そんなときにはあえてキャラを画面から外して、心理描写にマッチした背景だけを写して、声優さんに思いっきりいい演技してもらったほうが、視聴者にはキャラの感情が伝わることだってある。

『北の国から』なんかを見てるとよくわかるけど、叙情的な絵って、カメラを被写体に寄せるより、思いっきり引いて、登場人物を取り巻いている環境 (夕暮れの絵だったり、真夏の青い空だったり)の風景を見せたほうが情感は伝わるし盛り上がることもある。映像にはいろんなアプローチの仕方があって演出家の数だけ答はあるんだってことだよね。

それでもその絵がどういう風に視聴者に受け止められるかって法則はある。基本を知るってことは、漠然と感じていることを自分の中で理論的に整理して理解するってことだよね。

――実現したい画面を作るための技術を教えていくわけですね。

ヤマサキ ただ、これも興味がないと、僕が一方的に教えても全く駄目なんですよ。だから、イマジナリーラインとアオリ、俯瞰の意味あいの問題、カメラの寄り引きの違いとかの最低限のことを教えて、あとは「好きな作品をいっぱい見なさい」という指導をしていきますね。

対談第三回
イマジナリーライン
映像の中で、撮影対象の位置関係を混乱させないために想定された想像上のライン。一般にカメラ位置はイマジナリーライン(図:青線)を超えて移動しない。

特に、若い時期は趣味が偏っていたほうがいいと思います。まんべんなく学ぼうなんてしないほうがいい。「こういう絵が好きだ、映画が好きだ。」っていうものに本気でのめり込んで、そういうもののスペシャリストになって……それだけで20代はおそらくやっていける。大張くんが20歳そこそこですごい高みに駆けあがったみたいにね。

何かに特化した趣味的な感性だけじゃ行きづまりが来るのは、30歳過ぎから40歳くらいになったときで、「今時こういうの流行らないよね」と言われたときに、どういう勉強をして、どういう新しい要素を出していけるかで、息が続く人間になるかどうかは変わってくる。

そういう心構えを教えるので精一杯かな。

谷口 結局それは、「あなた自身が好きなものを持っていてくれないことにはこちらは教えられない」みたいな前提がありますよね。

望月智充
アニメーション監督、演出家。『魔法の天使クリィミーマミ』から「みんなのうた」まで、細やかな描写の中の斬新な演出で知られる。坂本郷名義で脚本などでも活躍。

先程のカメラ位置の話にしても、富野さんはやはりあおりが多い――背景に楽をさせるため、といった工程上の事情があったにせよ――ですし、他の例だと、望月智充さんはカメラ位置がちょっと高いですよね。

ヤマサキ 高いね。

谷口 覗きの視点と言うか……、私、ああいうのって、好みが出るんだと思うんです。あ、誤解がないように言うと、もちろん、実際にご本人にそういう趣味や願望があると言いたいわけではありませんよ。映像において、そういう好みがあるんだと思うんです。

ヤマサキ なるほど(笑)。

谷口 そこの好みは教えられない。どうやって本人に気づかせてあげられるかが問題だと思うんですが、いい方法はあるんでしょうか?

ヤマサキ そこはやっぱり、どんな人と映像に影響を受けたかに左右されるんだと思いますね。見たことも聞いたこともないものがポンと出てくるのは、気が狂っているか本当の天才かどちらかだから。15年間学生を教えていて思うのは、結局、自分が好きなものしか人間って入ってこないんだってことだよ。

教える講師も、どうやって好意を持って自分の話を聞いてもらうかが重要だと思う。一番問題なのは嫌われている人間が正しいことを言うことだね。人って……嫌いな人間に対して「お前の言葉が正しいということ自体が気に入らない」みたいになりがちじゃない。

対談第三回

谷口 (笑)。

ヤマサキ そしてもうひとつ違う言い方をすれば、影響を受けるってことは子供が親に似るのと同じってことかな。親のことが大嫌いだったとしても、やはり子供は年をとると親にだんだん似ていくよね。

結局、どんな作品を見て育ってきたかが大きくて、テクニック以外のことを教えられるほど、じつは僕たちは偉くないんだと思う。

谷口 となると、原体験の違いが大きく作用してきますよね。

ヤマサキ それはあるね。ただそれだけじゃなくカメラワークもキャラクターデザインも流行はあるし。カット割はどんどん早くなっていることも感じる。

感性的な部分でギャップやズレが生じたときは、これを捕捉して変えていかないと。監督としてだんだん使えなくなる。流行のスピード感やテンポ感も悪くない。そう思っていかないと時代に取り残されるよね。

「分からない」と言ってしまうことは簡単だけど、それを言うことで「自分は悪くない。まわりが悪い」と自分に言い訳していることってあるじゃない……人間って。それはやっぱりよろしくないと思う。だから……原体験だけでなんとかなるものでもないかな(笑)。

谷口 確かに……。

ヤマサキ あと、学生は生活環境も違うしね。だから、教える側も彼らのことを理解する努力をするのも大切なんだけど……あとはやはり出会いだよね。僕なんかも、偶然湯山さんに出会ったから今がある。

学院でも、僕の授業が合わなければ、他の先生という選択肢は用意されているのでそちらに憧れてみるのがいいんだと思う。

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