ブラッドベリの小説作法
私はいつも情熱のほとばしるままに書いていくことにしている。頭を空っぽにして……まさに禅だね。心にとまったすべてを最後まで書き通す。考えながらではなく、ほとばしる情熱にまかせて書くのだよ。考えたり手を加えたりするのは後でいい。でなければ創造は不可能になるからね。
先日仕上げたばかりの小説には3年ほどかけた。最初は何も分からなくてね。ただ面白い登場人物たちが生き生きと動き出した。何を描いた小説なのかがようやく見えてきたのは、書き始めて2年くらいたってからだったよ。
フェデリコ・フェリーニ(映画監督、実験的な手法を駆使し、「魔術師」の異名を持つ。代表作に『道』『サテリコン』)とも何度か話したことがある。フェリー二はラッシュも見ずに撮り続けて、撮った映像を見るのは一ヶ月ほどたってからだったらしい。私が仕事場代わりに使っていたUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にフェリーニが来て『サテリコン』を上映したことがあってね、学生にまぎれて私はその理由を尋ねてみた。フェリーニは答えた。
「自分が何をしているのか、私は頭で理解したくはない。ミステリーを失いたくないから」
フェリーニが言おうとしたのはこういうことだね。
一日の撮影を終了したその翌日に、昨日は何を撮ったのかと振り返ってみる。
たぶん正確には思い出せないだろう。だからこそ、しっかり憶えようと情熱を燃やすことになるし、ミステリーも生き続ける。ラッシュを見てしまったら想像力の入り込む余地がなくなってしまう。情熱を失う。
私の小説作法もフェリーニと同じ。創作に向かう自分の姿勢が正しかったと裏付けてもらえたようで、とても嬉しかったよ。
小説家という仕事
私には二つ、ルールがあってね。一つは、考えすぎないこと。もう一つは、手がけた仕事は最後まで仕上げること。
自分の仕事を好きになることができれば、それは人生の核になる。それがなければ何もないのと同じだよ。愛してくれる人がいて、愛する仕事があれば、それだけでもう素晴らしい人生だ。
何年か前に卒中にかかった。幸運なことに脳は無事だった。歩くのには苦労しているし、耳も聞こえなくなったが、それでも文章を書くことはできる。
この3年間に小説を3本書きあげた。演劇は6本。短編をたくさん。
私にはまだ書くべきことが残っている。できれば最後までやりとげてから死にたいな。
(2007年6月掲載、2012年12月17日改訂)
インタビュー:奥平謙二 野口周三(AMG)
構成:前島賢