■AKIHITO・インタビュー

――小さい頃は、どのようなことに、ご興味があったのでしょうか?

とにかく何かを作る事が好きな子供でした。福岡の家の隣が竹やぶで、枯れた竹を切っては、弓や槍、正月には凧なんかも作っていました。粘土遊びも好きで、一人で黙々と制作しているので、親にとっては手の掛からない子供だったとか。

時代としてはガンダムのプラモデル流行った頃ですが、ガンプラ高すぎて自分では買えなかったので、友だちが買うのを指をくわえて見てました。代わりに、紙でへなちょこなロボットを自作したりもしましたが、当時120円で売っていた「ビックワンガム」のオマケが、安いのにハイクオリティな模型だったので、それ目当てで親におねだりしてました。

あと、小学校の低学年くらいだと、“足が速い子”や“絵が上手い子”がクラスで人気者になるので、暇があれば女の子にウケそうな絵を描いてました。(笑)

――中学から高校にかけては、どんな青春時代を過ごされていましたか?

中学生になる頃には、小学生時代のように物を作ったり、絵を描いたりは、しなくなりました。原因はわかりませんが、一人で黙々と絵を描いたり、物作りをする事が恥ずかしくなったのか……。

当時、空手の道場に通っていたので、強くなることに専念していたのかもしれません。異性を意識しはじめて、かっこばっかりつけてました。それでも、根っからの創作好きからか、授業中にノートの端にイラストやパラパラ漫画を描いてましたし、美術の授業も好きでしたね。

高校は進学校だったので、宿題と予習・復習に追われる毎日でした。ギターとか異性とかにのめり込んだりもせずに、淡々と学生生活を送っていましたが、空手は結構練習をしていました。大会優勝を目指して、筋トレで5キロ体重を増やしたりもしましたよ。

――そんなAKIHITOさんが、造形の道を進むことになったきっかけは?

スクリーミング・マッド・ジョージ
大阪生まれの特殊メイクアーティスト。18歳で渡米して、「ポルターガイスト2」「エルム街の悪夢4」といった有名作品の特殊効果を手がけ、世界的に認められる。プロ野球・北海道日本ハムファイターズの新庄選手がファンサービスで被っていた不気味なマスクも、氏の作品。

高校2年の夏頃のことですが、テレビの「地球ジグザグ」という番組で、アメリカで活躍する日本人としてスクリーミング・マッド・ジョージさんが紹介されているのを見て、大きなショックを受けたことがきっかけです。昔から、日本の映画よりもアメリカのホラー映画が好きだったので、「アメリカの第一線で働いている日本人が居る」ということに凄く感動したんです。その時に「これだ!特殊メイクをしよう!!」と思ったのを記憶しています。

それで、普通ならそれから特殊メイクの本を読んだり、研究しようと思うところですが、自分には研究心がまるっきり無くて、ただ「将来、特殊メイクアーティストになろう」と思いながら、数学や古文の宿題を必死にこなすだけでした。(苦笑)

――1995年の「ユニバーシアード95 in 福岡」開会式の作品がデビューだと思いますが、どのようなきっかけで150体ものビデオマンを創ることになったのでしょうか?

当時通っていた映像学校で、夏休みにたった一人で3メートル大の恐竜を制作したんです。死ぬ思いをしましたが、特殊メイクの講師をしていた人が、それを耳にして「根性のあるヤツだ」ということで仕事に誘ってくれました。とにかく150体もの作品を制作するので、実力より、体力と根性が必要だったみたいです。

――とても大変そうですが、造形、メイクアップを作り上げるプロセスを教えて下さい。

まずデザインを考え、それからモデルになる人のライフキャスト(型)を採ります。

そのライフキャストの上に彫刻用粘土で、デザインしたキャラクターを彫刻して行きます。粘土彫刻が完成したら、かたどり、出来た型にフォームラテックスを流し込み人工皮膚の制作、人工皮膚の色塗り、その後、撮影当日に、出来上がった人工皮膚をモデルに装着、完成。ものにもよりますが、メイク時間は短くて2時間、長いときは6時間ぐらいかかります。

人工皮膚を制作するだけで、簡単に上記の様な工程があり、時間とお金がかかる仕事です。専門用語が多くて、分かりづらいかもしれませんが、メイクの華やかさの裏に、沢山の時間とお金を費やしている事を理解してもらえればと思います。

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