【ぷらちな】キャラを着て、街に出る。COSPAデザイナー和田洋介さんインタビュー<前編>

キャラを着て、街に出る。COSPAデザイナー和田洋介さんインタビュー<前編>

キャラクターグッズのブランドとして知られる「COSPA(コスパ)」は、アニメやゲームのキャラクターを、これまでにないデザインでアイテム化することで、キャラクターグッズという概念を大きく変化させることに成功しました。その製品の数々は、いまではアニメやゲームのコアなファン以外からもストリートファッションとして愛用され、キャラクターアパレルというジャンルを生み出したといっても過言ではありません。

そのCOSPAブランドを、デザインの面から支えてきたのが、デザイナーの和田洋介さんです。世界中から注目される、日本のキャラクターとファッションを融合させたCOSPAのデザインが、どのように生み出されるのか? その裏側に迫るインタビューを、前後編の2回にわたってお送りします。

■COSPAのルーツ

――和田さんが、キャラクターとファッションに関わることになったのは、どういったことからでしょう?

和田洋介さん

多摩美術大学のグラフィックデザイン学科で学んでいたんですけれど、学生のときは、勉強よりも遊ぶことに一生懸命でした。1~2年生の頃は、週に3日は芝浦ゴールドで朝まで、みたいな感じにクラブ通いに夢中で。3年生になって、そろそろ次の刺激はないかと探していた時に、ちょうど『美少女戦士セーラームーン』が盛り上がっていたんです。しばらくアニメやマンガ的なものとは離れた生活を送っていましたが、久しぶりにビデオをレンタルしてみたらこれが面白くて、すっかりハマってしまって。

そこから、クラブで夜遊びする生活が一転して、部屋で『セーラームーン』を観たりPCでプログラムを組んだりするようになりました。

――それはすごい変わりようですね(笑)。『セーラームーン』から得たキャラクターへの関心と、ファッションは、どのようにして結びついたんですか?

1995年の4月に大学を卒業したんですが、クリエイティブな仕事がしたいけれども、このままグラフィックデザインだけに限定してしまうのもつまらないと感じていたこともあって、これだ!という就職先も見つからずにどうしようかと思っていたんですね。そんなとき、「芝浦ゴールドでセーラームーンの格好をした人たちが集まるイベントがある」と聞いて、自分のよく知る場所で、そんなイベントがあるならば観ておかなければまずいだろうと。

――いわゆる、コスプレダンスパーティーですね。そこでコスプレを?

ただ遊びに行くだけじゃつまらないので、何か自分なりにそういった場にいくための武器を作るべきだと思ったんですが、コスプレするまではいかなくて。そこで、学生時代に趣味で自作していたサテンのダブルカフスシャツの背中に、自分で描いたセーラームーンのイラストを刺繍していったらみんな驚くんじゃないかと。

芝浦ゴールド
ジュリアナ東京などと並んで90年代のディスコブームをリードした伝説のクラブ。
コスチューム・パラダイス
「ゲーマーズ」のブロッコリーが主催となって、芝浦ゴールドや神楽坂ツインスターで開催した、コスプレダンスパーティーのさきがけとなるイベント。当時はコスプレオンリーのイベントはまだ珍しいものだった。

――家庭用カラープリンターもいまほど性能が良くなかったので、オリジナルのデザインプリントを作るのも大変ですよね。

ミシンで、セーラーマーキュリーの刺繍をいれて着ていきました。当時はまだ、既製品のコスプレ衣装など無かったので、コスプレパーティー会場は、まさにアニメやゲームのキャラクターと、「ものづくり」が渦巻く空間で、そういった場所に初めて飛び込んでみたら、いきなり「キミはコレ何着ているの?」と声をかけられて。それが、ブロッコリーの木谷社長と合同でイベントを主催していた、後に弊社代表となる松永でした。

――キャラクターとファッションが結びついた瞬間に、「コスパ」との劇的な出会いが訪れたわけですね。

そのダンスイベントの名前が「コスチューム・パラダイス」で、そこから、事務所の立ち上げに始まり、会社「コスチューム・パラダイス」(後のCOSPA)の設立まで、社長・会長・和田と名前を連ねることになりました。

――そうしてスタートしたCOSPAですが、初期は“オーダーメイドのコスプレ衣装を作るショップ”として知られていました。

渋谷の道玄坂にコスパショップをたちあげた当時は、まだ版権取得をしておらず、生産ラインもなかったので、フルオーダーのコスチュームを製作したり、マントなど輸入品のコスプレ用アイテムを扱っていました。格闘ゲームが人気で、「KOF」「バーチャファイター」のコスチュームを沢山作ったことが印象深いですね。

――コスチューム制作から、キャラクターファッションへと広がるようになったのは?

サキエルTシャツ

設立から2年ほど経ち、だんだん版権をとってエヴァンゲリオンやときメモの制服を作るようになって、その流れでエヴァンゲリオンの使徒Tシャツを作ったのが最初ですね。実はキャラクターアパレルというより“ライトなコスプレ”という発想で、着るとそのまま第三使徒サキエルになれるよ、というデザインのコスチューム的な遊びがTシャツでできるという面白いものだったんです。

――いわゆる、ネタTシャツというものに近い発想ですね。

自分としては、いきなりキャラクターTシャツでやりたかったんですけど、市場的にはまだ迷いがあったので、コスチュームにも見えるネタTシャツ的アプローチで、サキエルTシャツを作ってみました。その後は、エヴァの他のラインやガンダム、ときメモ、ソニック・ザ・ヘッジホッグといったキャラクターTシャツを展開しています。

Tシャツのグラフィックは、クラブで遊んでいた頃から気になっていて、そこで眼にしたものの影響はかなり大きいと思います。“ヨーロッパが解釈した日本が跳ね返ってきた”ようなデザインが流行していて、日本の文化は海外からみてこういうグラフィックの素材となるんだということがとでも新鮮で面白く感じました。

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