【ぷらちな】『新世界より』小説原作が示すアニメの未来/藤津亮太のアニメ時評‐帰ってきたアニメの門 第11回

[第11回]『新世界より』小説原作が示すアニメの未来

 今回は小説を原作にしたTVアニメを取り上げてみたい。

 映画よりも制作本数が多いTVアニメは商業アニメの中心的存在だ。だからTVアニメと小説の関係が今より深まれば、アニメの作品傾向にも一定の影響が出てくるのではないだろうか。その可能性を考えて見たいのだ。

 ここでは小説を原作にしたTVアニメを大きく3つに分けてみたい。

 一つは童話・児童文学系。ここには絵本原作の『それいけ!アンパンマン』から児童文学の中でもかなり一般向けに近い『精霊の守り人』までが含まれる。欧米の家庭小説などを題にとったいわゆる「名作劇場」もここに入る。

 二つ目はライトノベル。過去に遡れば『スレイヤーズ』『無責任艦長タイラー』などがあり、’06年にアニメ化された『涼宮ハルヒの憂鬱』のクリーンヒットで、現在のひねりある学園ものを中心としたライトノベル原作アニメの流れが生まれた。

 ライトノベルとはなにかを定義するのは難しいが、ここでは「特定のレーベルから出版されており、描かれている題材、登場人物がアニメ・マンガ・ゲームの強い影響下にある小説」としておく。だからライトノベルはアニメと非常に親和性が高いし、現在は互いがメディアミックスの重要なパートナーとなっている。一定以上の人気作、期待作になれば自動的にアニメ化の候補リストに入ってくる。

 そして三つ目が一般文芸。

 書店のいわゆる「小説」の棚に置かれる小説全般を指す言葉だ。この中でもSF、ファンタジー、ミステリ、ホラーなどジャンル性の強い小説はしばしばアニメ化される。近年では池上永一の『シャングリ・ラ』(とはいえ連載はアニメ誌だった)や、小野不由美の『屍鬼』(アニメ版はマンガ版を下敷きにしているが)がこれに相当する。ただ、数から言えばライトノベルに遠く及ばない。

 もちろんこれらを越境する作品も、これらに含まれない作品も存在するが、アニメとの関係をベースにした見取り図なので、これ以上の詳論は避ける。

 さて、その上で興味深いのは、2012年には一般文芸を原作とするアニメがいくつか登場したという点だ。

 まず1作目は1月から放送された綾辻行人のホラー&ミステリ『Another』。2本目は4月からの『氷菓』。いわゆる「日常の謎」を扱ったミステリで、米澤穂信の<古典部>シリーズが原作だ。3本目は同じく4月開始の『銀河へキックオフ!!』。川端裕人が少年サッカーを描いた『銀河のワールドカップ』と『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』をベースにしている。そして最後が、10月に始まったばかりの貴志祐介のSF『新世界より』。

 偶然ではあるが、こうして4作品がそれぞれのアプローチで一般文芸作をアニメ化している様子を見ると、やり方によってはこの一般文芸からアニメへというルートをもっと拡大できる可能性があるように感じたのだ。

 アニメ化にあたって一番わかりやすいアプローチをとったのが『銀河へキックオフ!!』と『氷菓』。

 『銀河へキックオフ!!』は主人公を小説のコーチから、小学生の子供に変更することで、童話・児童文学系のアニメ化近いラインでまとめた。放送局がNHK、制作がTYOアニメーションズということもあって、アニメ的なフェティッシュは抑えめの堅実で安心できるアレンジだ。

 逆に『氷菓』は、もともと原作がライトノベル・レーベルで出版されたこともあったのだろう、キャラクター性を前面に押し出した、ライトノベルのアニメ化に近い作りの作品となった。

 一方、原作のイマジネーションをアニメ制作側が正面から受け止めて、どう料理するのかの面白さで見せているのが『新世界より』。その分、原作からのアレンジは抑えめだ。これはもともと実写映画企画だったものが、アニメへとスライドしたこととも関係があるかもしれない。その分、ファンへの訴求の作り方など含め挑戦的な外観の企画だが、それだけに「見たことがないアニメが始まった」という期待感と存在感がある。

 『Another』は、『氷菓』と『新世界より』の中間ほどの手つきといえるだろう。キャラクター原案が『涼宮ハルヒ』シリーズなどで知られるいとうのいぢではあるが、内容が内容だけにサスペンス性が前面に出ていて、キャラクター性はその範囲の中に留まっている。その一方で、クライマックスなどで登場する凄惨なシーンはアニメだからこその怖さがある。

 こうして概観してみると、一般文芸作をアニメ化するにあたっては、おぼろげではあるが「キャラクター性を前面に出す」という要素と「原作世界を印象的なビジュアルで見せる」という要素の二つのパラメーターが重要なのではないか、ということが見えてくる。

 この二つをアレンジすることで、一般文芸作が、アニメファンへの訴求力のある(つまりアニメっぽい)作品企画へとコンバートすることが可能になる。この手つきの研究が進めば、今以上に一般文芸作のアニメ化が増えるのではないか。

 もちろん女性作家の短編をそのまま映像化する『大人女子のアニメタイム』のようなアプローチもありえるだろう。今の日本のアニメの実力であればそれはたやすい。

 しかし、一般文芸作をそのままアニメ化しただけでは「アニメだから見ない層」と「アニメっぽくないから見ない層」の狭間に落ちてしまう。「そのまま」はかなり難易度の高いアプローチなのだ。だから一般文芸作をアニメの企画としてまとめるには、原作の核を大事にしつつ、アニメっぽい方向へと一押し二押しする必要があるのだ。

 たとえばこのパラメーターを極端に振り切れば、『明治開花 安吾捕物帖』(坂口安吾)を原案にした『UN-GO』のようなアプローチも可能になる。『UN-GO』は、原作では明治として描かれている舞台を“新たな戦後”を迎えた未来と再設定し、さらに主人公の脇に超常の力を使うパートナー(当然原作にはこういう要素はない)を配置する、という大胆なアレンジを施した作品だ。だが安吾の作品に込めたエッセンスを外したわけでもない。

 どうして一般文芸作からのアニメ化が増える可能性を検討するのか。

 今、ライトノベルとアニメの距離がかなり接近している状態にある。これは一種の近親交配であり、増え過ぎてしまうとアニメ全体の多様性が減じて産業として変化に弱くなる。かといってオリジナル企画で多様性を獲得するのはハードルが高い。

 そんな時に、一般文芸作の話題作・ヒット作がアニメ化される回路が広がれば、アニメの多様性を後押しするための大きな役割を担うことが期待できる。

 今年の各作品の成否を経て、来年以降、一般文芸作品のアニメ化がどのように行われるか注目していきたいと思う。

文:藤津亮太(アニメ評論家/@fujitsuryota
掲載:2012年11月22日

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