コンベンションのススメ ―MYSCON9レポート

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■第1部:近藤史恵先生インタビュー

昼の部は、千代田区にあるベルサール九段の貸し会議室で行われました。 作家の声がじかにとどくような、こぢんまりとした会場で、イベントはアットホームな雰囲気で、最初の企画である、近藤史恵先生インタビューがスタートします。

近藤史恵先生は、93年『凍える島』で、ミステリ作家の登竜門「鮎川哲也賞」を受賞しデビュー。 昨年、日本ではあまり馴染みのない自転車競技・ロードレースをモチーフにした『サクリファイス』を発表。自分ではなくチームの誰かを勝たせるために走る、若き自転車レーサーを主人公に、彼が遭遇する思わぬ悲劇と、その真相を感動的に描き、第10回大藪春彦賞を獲得しました。 他にも、コーエーの女性向け恋愛ADVゲーム『遙かなる時空の中で』のノヴェライズなども手がけ、ファンから高い評価を得ています。 今日のために、大阪から日帰りでいらっしゃったという近藤史恵先生、大きな拍手で迎えられます。

インタビュアーを務めるのは、ミステリ書評家で、映画『バトル・ロワイアルⅡ 鎮魂歌』ノヴェライズなどの仕事もある杉江松恋氏。お話は、近藤先生のデビュー作『凍える島』の話題から始まります。


近藤史恵先生インタビュー

杉江 デビュー作は初投稿、しかも、はじめて書いた長編とのことですが本当ですか?

近藤 そうです。  ただ、通っていた大学(大阪芸術大学)に、創作のコースがあって、レポートとして30枚程度の短編は何本か書いてたんですよ。テーマをしっかり決める先生もいれば、わりと自由にやらせてくれる人いて、歌舞伎ものとかを書いてました。長編に比べるとずっとシンプルなつくりですが、芸事に異様な執念をもやす人の話を書いていましたから、それが、その後のいろんな作品に分散して受け継がれている感じです。


もともとは歌舞伎の研究をするために、大阪芸大に入学したという近藤先生。大学時代には、演劇にも携わり、高取英の主催する劇団・月蝕歌劇団に所属。「聖ミカエラ学園漂流記」などにも出演していた、という意外な過去も語られます。そこでの経験は、密室に役者たちが閉じ込められる『演じられた白い夜』に生かされているとか。


杉江 ミステリとの出会いは? やっぱり文学少女だったんですか?

近藤 本は、読んでましたから……文学少女、だったんですかね?(笑)  図書室で借りられるだけ本を借りて、一週間で全部読んだり、とかはしてました。


そんな中で、日本ミステリ三大奇書と名高い中井英夫『虚無への供物』と出会い、その衝撃からミステリというジャンルに強く惹かれます。


近藤 そこから、あとおいで泡坂妻夫さんや連城三紀彦さん、笠井潔さんといった方々の著作を読み始めたんですが、そしたらちょうど新本格ムーブメント(注:綾辻行人『十角館の殺人』に端を発するミステリ・ブーム)に遭遇し、自分が読みたいミステリが次々刊行されるようになりました。

杉江 第二作は『ねむりねずみ』、第三作『ガーデン』と発表されます。

近藤 実は、この作品は三本目に書いたものなんです。  三作目『ガーデン』の原型を編者者の方に渡したんですが、すごく気に入らなかったんですね。なんで、返してくださいってお願いしたんですが、駄目って言われてしまった。そこで、二ヶ月くらいで一生懸命『ねむりねずみ』を書いて、これと交換してくださいって頼んだんです(笑)。『ガーデン』の方はお蔵入りにする予定だったんですが、編集さんにお願いされて、三作目に刊行されるように。

杉江 『ねむりねずみ』は歌舞伎を題材にしたミステリですが、この発想はどこから?

近藤 大学を卒業しても、歌舞伎の研究自体は続けようと資料は集めていたんです。それをミステリ仕立てにした感じですね。 『凍える島』で賞を頂いたとき、ためてるネタとかトリックとかっていう、他の引き出しが全然なかったんです。だから『ガーデン』をまず書いたときは、やっぱり私は作家としてダメかな、と不安になったりもしたんですが、『ねむりねずみ』を書いたとき、「ああ、こうやって自分の好きなこと、自分の興味のあることをミステリ仕立ての物語にしていいのか」と、やっていけると思いました。

杉江 近藤さんの作品は、どろどろとした心理を描いていくのが特徴でした。ですが、祥伝社から『カナリヤは眠れない』を発表されて、すこし作風が変わったのでは?

近藤 そうですね。どろどろとした情念系の話を書く作家だと思われてたんですが、祥伝社さんから、文庫書き下ろしなんで、軽いものを、と言われたんですね。じゃあ、軽いものと思って書いたのがとても好評で、自分でも書いていて楽しかったので、こういうのもかけるのかな、と。ひとつ、別の路線を開拓した感じですね。

杉江 近藤さんが、エンターテインメントとしての書き方をマスターされた、という気がしました。これがないと、それ以降のシリーズも出てこなかったのでは?

近藤 もともと好きだった浄瑠璃には、情念の負の部分を書いたものも多いので、自分でも、人間のいやな部分をひっぱりだすようなものが書きたいとも思っていたんですね。  けれど、多少どろどろしていても、それを綺麗にまとめるということが『カナリヤ』でできるようになった。そういう方向転換は自分でも意外です。

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